2011年2月14日月曜日

バレンタインで考える、社会主義と規制

バレンタインデーには、日本特有のローカルルールがある。バレンタインデーでのプレゼントが、女性から男性への一方通行であり、返礼は3月14日のホワイトデーであるという点である。日本は史上最も成功した社会主義国と揶揄されるが、このバレンタインデーのローカルルールもまさにそのとおりである。社会主義的バレンタインデーのしくみを、逆説的に考えてみる。バレンタインデーが相方向である場合、次のようなストーリーになる。女性から男性にチョコレートが渡される。どんなモテ男でも100個がせいぜいだ。モテ男は、自分の特に気に入った女性に、愛のしるしとして、女性からもらった全てのチョコレートを渡す。チョコレートは換金可能であるから、多く渡せば渡すほど愛の深さを証明できる。モテる男はなにを労することもなく、常人の最大100倍のチョコレートを、気に入った相手に渡せる。このモテ男から大量のチョコレートを貰った超絶モテ女は、モテ男のお気に入りであるので、当然ほかのモテ男からも大量のチョコレートをもらい、数千個あるいは数万個のチョコレートを手にすることになる。この超絶モテ子が、超超絶モテ男に全てのチョコレートを渡すと、超超絶モテ男はそれだけ(略)、で数百万個から数億個のオーダーでチョコレートを手にすることになる。チョコレートは富める者に集中し、貧しい者はより貧しく、そして貧しい者の数は増え、富めるものは一部が徐々にふるい落とされ、ふるい落とされなかった富める者はより富んでいく。チョコレートは集中し、やがて爆発する。まさに、マルクス資本論の第23章(←自信ない)そのものである。日本版バレンタインデーは、チョコレートが移譲される方向を規制することによって、3月14日から翌年の2月14日までの間にチョコレートの賞味期限が過ぎる、という集中抑制機構がはたらき、どんなモテ男でもせいぜい100個、ちょっとカッコイイぐらいでも数個もらえる、というほどほどの社会主義を形成している。この規制が緩和されれば、日本にある全てのチョコレートの95%がジャニーズ事務所に、残る5%が向井理と松山ケンイチに集中することになる。現状で1個ももらえてないみなさんは、僕と一緒に死のう。

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