2010年8月28日土曜日

想像してみよう

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想像してみよう。



自分に1歳と3歳の子どもがいて、



離婚して引き取ることになったら・・・、



おそらく僕は、



父母を故郷から札幌に呼び出して、



できる限り面倒をみてもらいながら、



いまよりも時間が自由な職場に転職するだろう。



たぶん留学は諦めなきゃいけない。






想像してみよう、



さらにその状況で両親が他界あるいは、



病気や絶縁で頼れる状況になかったとしたら・・・、



子どもを保育園に預けて、



健康診断と老人病院のアルバイトで、



生計を立てることになるだろう。



病理のキャリアは諦めなきゃならない。






想像してみよう、



僕が医師免許を持っていなかったら・・・、



実験助手と臨床検査のアルバイトで生活するだろう。



収入は大幅に減り、郊外の安アパートに引っ越すしかない。






想像してみよう、



僕が大卒でなく、専門知識や資格もなかったら・・・、



正規職員で雇用されるのは難しいだろう。



飲食店でアルバイト?それとも運転手?



昼間のアルバイトだけで子どもを養えるだろうか。



徹夜で働いて夜間も託児サービスだろうか。



ひょっとすると子どもが就学するまでの数年は、



貯金を食いつぶすしかないかもしれない。



貯金もなかったら?



公的扶助がなければ暮らせないだろう。



ここで、もし、生活保護が受けられず、



あるいは失業保険など他の行政サービスについて無知で、



公的扶助を受ける術すら知らなかったとしたら・・・、、






子どもと一緒に心中したり、



子どもを放置して逃避することも、



十分に想定されるということです。






あなたは、彼女だけを責められますか。



離婚を予期して結婚する人なんていません。



多額の資産と高度な専門性を持っていない限り、



親族と公的扶助の力を借りなければ、



一人親での子育ては不可能です。



彼女はいずれの庇護にもありませんでした。



親が子を育てるのは動物です。



人間は社会が子を育てるのです。



英知と文化を継承し、将来の労働力を担保するためです。



もういちど問います。



本当にあなたは彼女だけを責められますか?
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