2010年8月20日金曜日

嫌な夢および初等教育について

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久しぶりに幼い頃の夢を見た。(正確にいうと、覚醒したときに夢の内容を覚えていて、それが幼い頃の夢だった。) 私は小学校3年生で、2桁どうしのかけ算を演習している。私は筆算が嫌いだった。まずひとつは、筆算をすると平方に近い軌跡が残るため、行単位での管理を基本理念とするノートではスペースが無駄になることである。二番目は、繰り上がるときに少しのあいだそのことを覚えていなくてはならないことであり、三番目は割り算の試行錯誤が非効率的であるため、である。特に許せないのが、二番目の「繰り上がりを短時間覚えていなければならない」という点で、特にかけ算で顕著である。筆算は、例えば52×47だと、


52×47
=52×7+52×4×10
=364+208×10
=2444


というふうに処理される。ぴんと来ない方は実際に筆算をやってみれば、同じだと気づけるだろう。















当時の私は筆算の非効率さに辟易して、何とかならないのか考えた結果、二項展開を思いついて、


52×47
=(50+2)(40+7)
=50×40+50×7+2×40+2×7
=2000+350+80+14
=2444


のように計算した。(a+b)(c+d)=ac+ad+bc+bdである。もちろん二項展開や二項定理など知らないので、2行目はいま付け加えたものだ。苦悩の末、1行目=3行目であることになんとかたどり着いた、という表現が適切だろう。最初に思いついてから、教科書や問題集(ポピー)の例題を試しに解いてみて(おそらく10問近く試したのだろうか)、その結果すべて答えが一致したことから、「これはいける!」と思って採用した。しかし驚いたことに、当時の担任の教師は「その解き方が間違っている」と評価した。私は当惑し、変な癖がつくとおおごとだ、と思ってあわてて修正し、その考え方を封印した。そのときの夢である。


しかし、私はその解き方のどこが間違っているのかどうにも解らず、中学生になるまで悩み続けた。次の3つの重要な事実に気づくまで。


1.私の解き方は間違っていなかった(展開という名称まである)

2.大人でも知らないことがある(数学が並みにできる人は小学校教師になんてならない)

3.出る杭は打たれる(みんなと違うことをしてはいけない)


大袈裟に思われるかもしれないが、私は、先の法則を発見したときが、自分の人生で最も知的に輝いた瞬間だったし、それを否定されたことで自分の知的な成長が大いに阻まれた、と今でも思っている。とっても小さなひらめきだったし、内容はもちろん既知の法則である。それでも、知性の本質が具象から抽象への一般化にあるとすれば、私にとってそれはまさにその第一歩であったのだ。私の成長にとって極めて重要であった芽生えが、担任の先生の無知からくる心ない一言で摘まれてしまったのであれば、それは当事者にとって大問題である。このことが心の傷となり、通分(つうぶん)や割り算の筆算でも楽に解ける法則を思いつきかけたが、先の方法が間違っているという前提のせいで全て覆され、中学にあがる頃には考えることもやめてしまった。あのときせめて、「よく思いついたね。すごいよコタロー君。でもみんなと同じ筆算のやり方もできるようにしておいてね。あと、そのやり方じゃ3桁になったら大変かもよ。」って声をかけてくれていたら、私はきっともっと成長して、数学が好きで、偏差値が高くて、ってことは今頃はこんな片田舎の三流大学のしょぼくれた研究室に閉じこめられたりはしてないんじゃないか、と思うと、悔しくて夜も眠れないのだ。


人類には、種の保存すなわち子孫を継承することと、文化を継承し発展させることの2つが求められている。文化を継承するためには教育が不可欠である。その教育は最も知識に長けた人担うべきである。教育者の無知は悪質だ。特に、事実の誤りは後で訂正すれば済むが、概念の誤りは人間形成に致命的となりうる。多面的なものの捉え方と、矛盾のない論理展開が求められているのである。組合活動とか不正献金とか君が代不起立とか児童売春とか盗撮とかそんなことよりも、無知であることこそが大罪なんだ。それを自覚して欲しい。加えて、初等教育は具象から抽象へ思考を一般化する最も重要なポイントであり、ひとりの教師が全教科を教えられるほど甘いもんじゃないから、中学校以降のように科目別にするべきだ。


嫌なことを思い出したので勢いにまかせて書いてしまった。ついでにいうと、さらに許せないのが音楽の先生で、ただでかい声で歌えば褒められて、音譜の読み方もわからないまま合奏させられて、「ほら楽しいだろ」みたいな態度ってそれはないと思うんだよね。パッフェルベルの大逆循環からII-V進行まで多岐にわたる和音と進行のおもしろさこそが西洋音楽の本質だよ。そこを教えてくださいよ。お願いしますよ。


ここまでいったから書いちゃうけど、今まで「この人、切れるな」って感心した学校の先生って、高校に何人かいただけで、中学校以前には1人もいない。


最後に、教育はその課程で「文化を発展させられる優秀な才能」を発掘して育てるもので、頭のいい田舎の貧乏人が東大に入学する道を常に担保し続けなくてはならない。








だめだ、すっきりしない。飲み会いってくる!
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