2010年7月23日金曜日

インターフェイスの重要性、アクセシビリティ

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iPadが病理医の仕事を変えている。



病理のルーチンワークで使用する教科書は、



きわめて分厚く、数が多い。



必須レベルで10kg、推奨レベルで100kg越えだ。



マイナー科だから内科の教科書ように電子版もない。



教科書を裁断してScanSnapで電子化し、



iPadで読めば、わずか0.7kgでよく、



OCRで検索も可能である。



iPadは病理医の仕事を劇的に効率的なものにした。



だが、待って欲しい。



PDFを読むだけなら、PCでも良いはずである。



iPadで出来ることは全てPCで実現可能だし、



PCで出来てiPadで出来ないことは沢山ある。



だが、PCで電子化した教科書を読む気にはとてもなれない。



iPadの方が "ほんの少しだけ" 使いやすいからである。



この "ほんの少しの使いやすさ" が "その本質" を超えて、



最前面に主張してくるということを、



私はiPhoneとiPadで思い知った。



"ほんの少しの利便性" は、サービスの利用者にとって、



簡単に "その本質" を超えてしまう。



患者さんにとって、"真に勤勉で腕が良い医者" よりも、



"ちょっと親切な医者" が "いい医者" であることが、



(肯定するわけではないが)至極必然であるということだ。



きっと全ての業界において、同僚や取引相手に対して、



"親切丁寧で頼みやすい"、"ひとあたりがよい"、ことは、



自身の市場価値を高めることに、最も鋭敏に寄与する。



知性や勤勉さや創造性や処理速度よりも、



コミュニケーション能力が大切だということだ。



そういう社会は、発達障害のひとを排除し、



うつ病による自殺を招く危険な社会である。






大どんでん返しの展開、いかがでしたでしょうか。
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